・近江茶の歴史

・近江茶のはじまり およそ今から1200年前の805年、伝教大使最澄が唐より「チャ」の種子を持ち帰り、比叡山麓(日吉大社近郊)に播いたとされたことより、滋賀県のお茶の歴史は刻まれてきました。 (日吉神社道秘密記:1575−77頃) 日吉大社(大津市坂本)の一隅にある茶園はそのものであると伝えられています。 ※中国浙江省にある「中国茶業博物館」には僧最澄が「チャ」の種子を唐から持ち帰り滋賀県に播いたとのパネルが展示されています。 |
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また、「日本後記」「類聚国司」には、815年嵯峨天皇が近江の国に行御幸された際、僧永忠が茶を煎じて献じたとあり、さらに、「類聚国司」には、同年、畿内ならびに近江、丹波、播磨に茶を植えさせ、これを朝廷に献上させたとあります。 |

・近江土山茶のあゆみ 土山のお茶は、南北朝時代文和5年(1356年)、甲賀市土山町南土山常明寺の僧鈍翁(どんのう)が京都の大徳寺から茶の実を持ち帰って寺で栽培したのが起源と伝えられています。 広く生産販売がされるようになるのは江戸時代になってからで、いち早く先進の製茶技術を取り入れ、街道筋では名物のひとつとして販売されていました。 |
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また、お茶の栽培に適した気候と土壌であったことから、開国から明治期にかけてお茶が輸出産物となるなかで、その生産量は飛躍的に拡大し、現在でも近江茶の一大生産地として甲賀市の主要産物となっています。 (栽培面積、生産額とも滋賀県内一を誇っています) |

・茶摘みの今昔 現在、甲賀市土山町内には約50の製茶工場があり、シーズン中は町中香ばしいお茶の香りに包まれます。 「茶摘み」と聞くと情緒ただよう手摘みをイメージしがちですが、これは祭りなどで見せるために、また品評会出品、独自の高級茶商品に限り実施しています。 茶刈バサミを町内で見かけるようになったのは、昭和4〜5年ごろのこと。はじめは四角い網の張ったハサミでしだが、昭和10年頃には袋付となり、昭和30年後半から一人用の動力式となって、今日では二人刈と乗用の大型最新機械へと改良改されています。 |

(社団法人滋賀県茶業会議所パンフレット、土山町茶業協会パンフレットより抜粋)